フランス個人旅行~2日目~ヴェルサイユ宮殿
ヴェルサイユ宮殿は義母が宮殿内以外はあまり歩かなくて良いように、午前半日バスツアーを利用しました。€75
世界遺産 ベルサイユ宮殿 半日ツアー 到着後は自由見学 <選べる出発時間/宮殿内日本語オーディオガイド> | フランス(パリ)旅行の観光・オプショナルツアー予約 VELTRA(ベルトラ)
集合は昨夜宿泊したPullman Paris Tour Eiffelの前。
私たちは宮殿に到着したら自由見学のツアー。
他にガイド付きや一日のツアーなどがあり、名前を確認するとツアー毎の入場券と服に貼るシールを受け取りました。
Chateau de Versailles のアプリをスマホにダウンロードするように言われ、日本語で説明を聞くことができました。
バスの車内で英語、西語、仏語で簡単な案内があり、40分ほどで、入り口の門の近くに到着。
集合時間と集合場所を確認して、各自で門と建物の向かって左手の入口で入場券を提示し、地下でお手洗いを済ませ、中庭に出て、向かって右側の建物から入りました。
元々はルイ13世の狩猟の館。
1661年よりルイ14世が建設に着手し、建築家ル・ヴォーとマンサール、画家・装飾家のル・ブランの設計と内装によってほぼ大部分が完成し、1682年に正式に王宮が移されて、当時の政治の中心となりました。
壮大で豪華なバロック・ロココ建築は、「朕は国家なり」と称したルイ14世による絶対王政の象徴。
700以上の部屋があります。
庭園はアンドレ・ル・ノートルの造園。
水の便が悪かったためにわざわざセーヌ河から水道橋で水を引いたことからも、王の権力の絶大さをうかがい知ることができます。
フランスではヴェルサイユ城Chateau de Versaillesの方が一般的な表示。
パリの南西22kmに位置。
2階まで吹き抜け。
2階は王族が、1階はそれ以外の人が利用。
ルイ14世は宗教に熱心ではなかったが、後添えの王妃マントノの影響で1710年に礼拝堂を作った。
オルガンは18世紀にクリコが作り、その後もクリコの子孫が再現・管理・維持をしている。
マリー・アントワネットとルイ16世の結婚式はここで行われた。
廊下を突き当りまで進み、階段を2階まで上がり
2階の王室礼拝堂まで、上の写真の部屋がありました。
オーディオガイドで説明はありません💦
2階の王室礼拝堂の入り口が左端にあります。
2階の入り口から見学した王室礼拝堂。
王族や貴族が飲食を楽しんだ部屋。
王のアパルトマンの最初の部屋。
この後の部屋とともに太陽系の七つの星に捧げられている。古代の神々とも結びついている。
夜会の軽食をとる部屋。
天井の楕円内の絵画はルネ・アントワーヌ・ウアスの「強大国を従わせるヴィーナス」
部屋の名前の由来。
左下の像はヴァラン作、ルイ14世。
右下の絵は遠近法を使っただまし絵。
衛兵の間として使用。
軍事的な装飾が多い。
盛儀の寝室。
写真左下はアントワーヌ・モランがルイ14世に贈ったからくり時計。
ルイ14世の戦争に勝利したことを表す部屋。
大理石とブロンズの空間。
左の扉が鏡の間への入り口。
最大の見所の鏡の間。
もともと王の居住スペースと王妃の居住スペースを繋ぐ庭園を見渡す大きな屋外テラス。
悪天候の際に不便なので、マンサールが1678年から1684年の6年かけて屋根と壁を付けた回廊に改造した。
17のアーチ型の窓に向かい合うように、17のアーチ型の壁とし、357枚の鏡をはめた。
サンゴバンの王立マニュファクチャで製造された鏡。
サンゴバンは創業350年以上の老舗でルーブル美術館のガラスのピラミッドも制作。
当時、鏡は大変貴重な物で、豪奢の証。
天井画はオランダ戦争、フランドル戦争の大勝利だけではなく、行政や経済の改革を象徴する表現。
全長73m
中央には甲冑を身につけ、玉座に腰かけた国王が描かれ、その周りに三美神とオリンポスの神々、知恵の女神ミネルバと戦の神マルス。
現在のシャンデリアや燭台はマリーアントワネットとルイ16世の結婚式に合わせて、オリジナルに忠実に新しくしたもの。
1919年の第一次大戦後のヴェルサイユ条約の調印はここで行われた。
鏡の間の途中に入口があります。
国王と王妃の共通の大広間として1688年に作られた。
1701年にルイ14世の妻マリー・ルイーズが亡くなると、ルイ14世はここを寝室とし、1715年にこの部屋で亡くなった。
ルイ15世もこの場所を寝室とした。
1789年には、ルイ16世と王妃マリーアントワネットがヴェルサイユからパリに連行される前に、この部屋のバルコニーから群集の前に姿を現した。
南側の部屋に光をもたらす円形の窓にちなんで命名。
この部屋はもともと仕切り壁で二つに分かれており、前室と王の部屋で構成されており、ベッドは現在の暖炉の隣の左隅に置かれていました。
これらの部屋の小さなサイズに不満を抱いたルイ14世は、1701年に壁を取り払い、2つの部屋を1つにまとめることに決めました。
彼は寝室を次の部屋に移しました。
新しい世紀の初めに、豊かな大理石の装飾と塗装された天井を放棄し、白い天井と金色の木工品に置き換えました。
ルイ14世の妃マリー・テレーズのために作られた寝室。
歴代の王妃が使用。
マリー・アントワネットはこの場所で公開出産を行いました。
マリー・アントワネットが亡くなった時の状態が忠実に再現。
控えの間。
王と王妃が食事をした部屋。
正面にはマリー・アントワネットの肖像画。
昼夜12人の衛兵が王妃の護衛に当たるため待機していた部屋。
長さ120m、幅13mの回廊の壁には、初代国王であるクロヴィス1世が勝利した497年の「トルビアックの戦い」から、ナポレオンが勝利した1809年の「ヴァグラムの戦い」までをテーマーにした33点の絵画が並んでいます。
手前のラトナの泉水は、ルイ14世が自らの象徴と崇拝する太陽神アポロンの幼少を物語る泉を作りたいという願望から生まれました。
泉は、アポロンとディアナの母ラトナとリュキアの農民たちの出会いを描いています。
オヴィデウスの『変身物語』にある逸話で、ラトナは自分を愚弄した農民達を蛙に変身させてしまいます。
庭園は、左右対称に花や草が植えられています。
大小で500〜600ほどの噴水が置かれ、小道や森の中には一流彫刻家によって造られた大理石製の彫刻などが置かれています。
1時間€35で庭園を一周してくれるカートがありました。
宮殿内を義母のペースでゆっくり歩いて、現地滞在3時間の半日ツアーでちょうど良かったです。
門を出た所でツアーバスに乗り、宿泊したホテル前まで、連れて行ってくれ、ホテルで荷物を受け取り、タクシーで次のホテルに行き、午後は部屋で休みました。